日本人で神社に行ったことのない人はほとんどいないのではないでしょうか。でも、日本人で自分は神道の「信者」だと思っている人もあまりいないように思います。筆者もそうでした。
ですから「古神道ワーク」と聞いたとき、僅かな抵抗感もありました。ところがワークの前の、矢加部先生のお話を伺って、まずその疑問が解けました。
神道は「神道」であって、「神教」とはいいませんね。 神道は宗教ではないのです。
ここは矢加部先生が宗教を定義づけて説明して下さったことにより、納得できました。神道は「道」であり、神ながらの道であり、今ここを生きていく道のことなのです。
また「ちはやぶる」の意味や、魂と鎮魂、穢れの概念、音霊の話など、おそらく日本人としてDNAには刻まれていてもそれと気づかなかったことにわかり易い説明があり、大いに納得することができました。
また、陰陽についても説明がありました。 陰陽のキーワードは・・・
「陰陽を間違えてもいいんだよう!」・・・失礼いたしました。
いえいえ「笑い」は「祓い」、とても大事なのだそうです。 天の岩戸を開けたのは、笑いだったのですから。神道は明るく楽しいもの、また清々しく爽やかで、「天晴れ」な状態を目指すものだったのです。
さて、休憩の後、お待ちかねのワーク、「鎮魂禊行」です。
まずは手順の説明があります。ところで、神様にお詣りするときの二礼二柏手一礼は広く知られていますが、その前に「一揖」といって軽く15度ほど頭を下げるのは皆さまご存知でしたでしょうか?
それは「場を驚かさない」ためであり、何であれイキナリ始めるということはしないのものなのだそうです。和の美学ともいえる精神に感嘆しました。
行は瞑目静思の後その一揖二礼二柏手一礼から始まり、
忍術を思わせるカッコ良さで印を切ったり、
祝詞を唱和したり、
神々の降臨を身体を動かして再現したり、
(感動で涙する方も)
瞑想したり、
音霊を発声したり、
動と静、陽と陰、拡散と収縮を繰り返しながら小一時間、
穢れ(気枯れ)を祓い清めて「神ながらの道」を、頭ではなく身体全体で思い出したようで、とても爽快ですっきりとした気持ちになりました。
ところで行は一回二回ではなく、一座二座と数え、一日二座が基本なのだそうです。
休憩の後に二座目を行いましたが、皆さま一座目より板についてきて、より素晴らしく輝くエネルギーに満たされたようでした。
「あな楽しー! あな面白ー! あな清明けー!!!」
そんな気分で身も心もすっきり、更に驚くべきことに、ご神前に置かせて頂いていたブレスレットなどのパワーストーンが、行のエネルギーの渦の力でキラッキラに輝いていたのでした。
そしてもっと驚いたことに、筆者はふだんお酒を一滴も呑めないのですが、何となく大丈夫な気がして御神酒を頂いてしまいました。結構な量がありましたが。しかし顔は真っ赤になったものの気分わるくなったり眠くなったりすることもなく、平気でした!
行の力、やはりただものではありません。
終了後、すっきりとした皆さまのお顔です。
一座1時間の行を日常生活に取り入れるのはなかなかできないことですが、一部を気軽に行ってよいものだそうです。
というわけで、
瞑想を「五天合掌」から始めたり、
家事の合間に「振魂」したり、
おフロで「アジマリカン」したり、
家族から怪しまれるようになった筆者でした。
いや、筆者もまた自分が「一柱の神」であることを思い出したのですから、怪しくても「いいんだよう!」
次回以降の開催は確定次第お知らせいたします。
御自分もまたかけがえのない「一柱の神」であることを、ご一緒に思い出してみませんか。お読み頂きどうもありがとうございました。